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――名探偵ゲーデル先生のところに、今日も助手のカンパネルラ君がやってきました。
- ゲーデル
- やあ、カンパネルラ君。あいかわらず金利生活者みたいなナリして。今日はいったいどうしたんだい?
- カンパネルラ
- 先生を真のプロレタリアートと見込んで聞きたいことがあるんです。
- ゲーデル
- ハラショー! おだやかじゃないね。また誰かにいじめられたのかい?
- カンパネルラ
- ぐすん。どうしてそう思うんですか?
- ゲーデル
- だって君の上着の裏ポケットから、涙でくちゃくちゃになった「帝国主義論」がのぞいているじゃないか。
- カンパネルラ
- 先生こそ、そのスリッパ、マオ・カラーですよ。それでぼくが聞きたいのは「史的唯物論」のことなんです。
- ゲーデル
- 「史的唯物論」というのはね、社会学のことなんだよ。
- カンパネルラ
- この大うそつき! なんだって、そんなデマを。
- ゲーデル
- 本当だよ。ロシアの革命家ブハーリンが「史的唯物論」という本を書いてるけど、彼はそれをはっきり「社会学」と呼んでいる(『史的唯物論--マルクス主義社会学の一般的教科書』)。彼はあとで粛清されて、それ以後ソ連では社会学は「非弁証法的なブルジョア社会理論」ということになったけどね。もっともアメリカのテネシー州では1967年まで、公の場所で進化論を話題にすることは禁じられていたし、中華人民共和国(いつ聞いてもすごい名前だね)では1979年まで人口学と社会学は御法度だった。日本でも昔はよく、社会学は社会主義と混同されて、縁談が断られたりしたものだよ。
- カンパネルラ
- ぷんすか!「史的唯物論」って、正統派マルクス主義用語なんでしょ?
- ゲーデル
- そうだね。もはやこういう場合の定番だけど、当のマルクスは一度だってそんな用語(「史的唯物論」も「唯物史観」も)を用いなかった。これまた定番だけど、使いだしたのはやっぱりエンゲルスで、その後は講壇哲学(新カント派)が大学の哲学で科目分けしてたので、それに向こうを張って第一哲学=弁証法的唯物論、その適用たる自然弁証法(自然をあつかう)と史的唯物論(人間社会をあつかう)に部門編成されていった。この「適用」ってのは、これはまたスターリン(靴屋のせがれ)の悪名たかき定式化でもあるけどね。
- カンパネルラ
- それで結局、「史的唯物論」って何なんですか?
- ゲーデル
- つまりムニャムニャ、生産力がどんどん増加して、生産様式と「矛盾」するようになって世の中が変わってしまうんで、みんなそのうち社会主義になるということだよ。
- カンパネルラ
- たいへんだ! そしたら、ぼくはどこに逃げればいいんですか。
- ゲーデル
- 逃げ場はない。なにしろ、みんな社会主義になるんだからね。
- カンパネルラ
- せ、せんせい。ぼく、心を入れ替えて、一生懸命働きますから、なんとか見逃して下さい。
- ゲーデル
- 大丈夫。一生懸命働くよい子は、かならずよい労働者になれるよ。それに「唯物論」では、誰がどんな心持ちかなんてどうでもいいことなんだよ。
- カンパネルラ
- 少し安心しました。でもどうして生産力が増えると矛盾が生じるんですか? それに生産力がすごい「先進国」でも、別に社会主義にならないみたいですけど、まだまだ生産力が足りないんですか?
- ゲーデル
- じゃあ聞くけど、カンパネルラ君、君はお金は好きかい?
- カンパネルラ
- 好きです。そりゃもう大好きですとも!
- ゲーデル
- だったら、どうにかしてお金を手に入れたいと思うだろう。
- カンパネルラ
- お言葉ですが先生、ぼくは黙っていてもお金が手には入る身分の人なんです。
- ゲーデル
- おやまあ! 子供のくせしてジゴロみたいなことを言って、おませさんだね。しかしここはひとつ、そのお金を元手にして事業をやってみることにしよう。つまり何か物をつくって売りまくるのだ。それには材料だっているし、人だって雇わなくてはならない。場合によっては設備を整え大きな機械だって設置しなければならないかもしれない。
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